1937年、大阪市立科学館の前身にあたる大阪市立電気科学館がオープンしました。もっとも注目されたのが、日本初のカールツアイスⅡ型プラネタリウム。ドームスクリーンに世界中の星空を本物そっくりに映し出す、当時最先端の機器でした。投影された満天の星に、多くの人々がとりこになりました。当時小学生だった手塚治虫氏も夢中になった一人です。
大阪大空襲で、電気科学館は建物の一部を焼失。一時休館に追い込まれますが、戦後まもなくしてプラネタリウムの投影を再開し、市民の心を癒しました。
1989年、建物の老朽化により電気科学館は閉館します。その後、中之島にある大阪大学理学部の跡地に移転し、大阪市立科学館として新たな一歩を踏み出しました。開館以来、“科学を楽しむ博物館”として親しまれています。